沖縄訪問記(信仰編・上) [大なり小なり旅の記録]
GWの前半の連休を利用して沖縄へ行ってきました。
沖縄大好き人間の彼女に車を運転してもらって(なさけなや…)、まず連れて行ってもらったのは斎場御嶽(せいふぁうたき)。
琉球最高の聖地とも言われ、首里城などとともに世界遺産に認定されています。

「琉球最高」とはいえ、本土における神社の感覚で言えば祭祀に用いる土地は広くありません。
奈良県の大神(おおみわ)神社は三輪山という山そのものが信仰対象でありアニミズム(自然崇拝)の名残りを感じさせますが、こちらはさらに徹底しています。
鳥居も拝殿も手水舎もなく、あるのはただ自然のみ。人工物は石積みの祭壇ぐらいしかありません。

ここは一番奥にある寄満(ゆんいち)という場所。
こちらは三庫裏(さんぐーい)という洞門。もちろん人の手は加わっていません。

内側から外を見ます。
ここを抜けると、海の向こうには神の島といわれる久高島(くだかじま)が見えます。

ここでは記念撮影してるバカップルがうざかったです(苦笑)

自然が姿を変えたならそこにも意味が生まれるのでしょうか、太平洋戦争のときにアメリカ軍が打ち込んだ砲弾によってできた池(砲弾池)もまた、玄妙な雰囲気をたたえていました。
感想のまとめとして、先日行ってきた伊勢神宮と比べてみましょう。


上が斎場御嶽、下が伊勢神宮(内宮)です。
森の中を分け入るような斎場御嶽に比べて、伊勢神宮は人の通るところと木立が厳格に区切られ舗装も整えられています。
木立も上は蔓のある植物によって形作られる曲線で構成されているのに比べ、下は針葉樹などによる直線が多い。これはもちろん植生の違いでもあるのですが。
これらの事柄から受ける印象としては、自然環境(イコール神様の住処)の中に入って交じり合うのが御嶽(うたき)で、神様を拝殿などに招いて人間は遠くから拝むというのが本土における神社であるように思えます。
特に豪壮な神社建築は神様の威光とそれに付帯する人々の畏怖を権力サイドが統治に利用した側面があるので、祀られている神様のもともとの姿や性格が変えられてしまうこともしばしばです。(その変わっていく様子がまた面白いのですが)
その点、建築物など神様の威光をことさら誇示する設備が存在しない御嶽はより身近に、飾り気のない神様をダイレクトに感じることができる場所なのかもしれません。
しかし、わかりやすいモニュメントがないということは、もともと信心に縁のない人には神様のありがたみが伝わりにくい、ということでもあるようです。
当日は自分たち以外にも家族連れやカップルなど多くの人々がここを訪れていましたが、
「なにここ。なんにもないのねぇ」
なんていう声も聞かれました。
ちょいとそこなママさん。ここはなんにもないから凄いんだよ。
ここを訪れてみて、「沖縄の祭祀形態は本土の原初の信仰のかたちを知るヒントがあるのではないか」という説を実感することができました。
むー、興味深い。
→(信仰編・下)につづく。







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